公園で会った空の観測老師
11月の皆既月食はかなり話題になったから観た人も多いのではと思います。学生の頃はマイナーな天文現象も追って観測していたのに、社会人になってからはなかなか見れなくなってしまい、夜空を見上げる度に久しぶりな気分がしている僕だったのですが、今回の皆既月食は時間の都合が付きやすかったこともあり、数ヶ月ぶりに一眼レフを手に近くの公園まで観測しに行きました。
ちょっと夜の散歩のついでに、ちょっといい感じに撮れそうだったら撮ってみて、そんな軽い気持ちで観測に赴いたのですが、公園に着いてみると、そこには「空の観測老師」がいました。
空の観測老師は公園の端の暗がりで全く動かずにカメラと向き合っていたので、僕は最初その存在に気が付きませんでした。それよりも、久しぶりに引っ張り出してきた一眼レフで撮るものがどうにもピンぼけで、どうしたものかと試行を繰り返していました。
撮っても撮ってもピンぼけは全然改善せず、もう撮影は諦めて、久しぶりに見る月食の赤い色を自分の目で堪能するだけにしようと思いました。
改めて月を観ると、その赤色はまだ白く光る部分に圧されながらも、注目して見れば見るほど、懐かしく目に染み込んでくる気がしました。太陽が空全体を赤く染めていたダイナミックな夕焼けの色が、今は黒い夜空の一点だけに、マッチ棒の先みたいに集まっているのを見ていると、自分が今いるこの星の片割れを見つめているような気分でした。それは青白く孤独な夜の中で神秘的に黒煌めくスーツを着た怪盗が、急に昼の顔で「よう!相棒!」って言ってくるような不思議な親しさを感じていました。
いつもと違う月に心を奪われながら、暗さに目が慣れてくると、公園にもうひとり人がいるのを見つけました。近付いていくと、傍らには三脚もあって空に向けて撮影しているおじいさんだというのが分かりました。自分も携えていたカメラを見せながら適当に挨拶をして話してみると、そのおじいさんは只者ではないということが次々明かされていきました。
そのおじいさんのことを、ここでは「空の観測老師」と呼びたいと思います。
まず空の観測老師が持っているカメラは、見たことのない構成をしていました。普通にカメラに望遠レンズが着いているだけに見えていたのですが、よく見るとカメラとレンズの裏にレールがくっついていて、ありえない組み合わせで着脱可能な機構が作ってありました。明らかにお手製で、レールはよく計算された設計で切り出されているようでした。老師はそのカメラのことを「バカチョン」と呼んでいました。どうして魔改造して愛用しているカメラをそんな呼び方しているのか気になったのですが、老師が続けた今まで撮影したものの話の方が気になりすぎました。
老師は今日みたいな特別な天体現象の時に限らず、日々の月の満ち欠け、星座、惑星、人工衛星の軌跡など、そのカメラとレンズで撮れる夜空の動きをほとんど撮り尽くしているようでした。中でも月の日向と日陰の境や人工衛星を入れた構図に凝ったものが多く、夜空の中のかっこいい瞬間を特に狙っているのだと伝わってきました。
老師がどう夜空をかっこよく撮っているのか聞き惚れていると、飛行機が飛んできました。「あの点滅している光がなんだか分かるかね?」と尋ねられたので「あれは飛行機ですね」と答えたら「あれはXX-NNNだ」と返されました。ふと何を言われたのか分からなかったのですが、どうやら飛行機の機種のようです。夜空で機影もはっきり見えていないのに……思わず聞いてしまいました。「どうして分かるんですか!?」「音だよ。まあそうでなくても、この時間であの方角から飛んでくるのはあの機種だけどね」これにはとても驚きました。僕も鳥の鳴き声で種類が分かることがありますが、はるか上空を飛ぶ飛行機の音で機種が分かるなんて。自分にはヘリコプターと旅客機の違いしか分かりそうにありません。しかも老師は音で飛行機の機種を見破るだけでなく、その飛行機がどの方角からどれくらいの速度で飛んでくるのかも把握していて、その軌跡をその日の空模様と掛け合わせて画に収めるそうです。少し薄雲っているだけで撮るのを諦めてしまう僕とは全然違う空との向き合う方があるのだと思いました。
もっと瞬間を狙った空の撮影も話してくれました。こんどの観測対象は鳥です。見せてくれた写真にはチョウゲンボウというハヤブサに似た鳥が写っていました。ハヤブサに似ている鳥というあたり、とても速く飛べる鳥なのですが、そのチョウゲンボウが羽の一枚一枚まではっきりと写っていました。「これはでもホバリング気味だからそんなに難しくないよ」そんなことを言っていましたが、動きがおそーい天体ばかり撮ってる自分からすると望遠レンズで飛んでる鳥を追って撮れること自体がまず全然信じられませんでした。
話しているうちに老師はカメラを触りながらこうも言いました。「こいつはいいところをよく撮り逃す。だからバカチョン」最初から笑いながらそう呼ぶので悪態をついているわけではないと気付きながらも、その呼び名は空の様々な瞬間を一緒に狙ってきた相棒につけた愛称なんだとその時分かりました。最高な瞬間も最悪な瞬間もずっと一緒に経験していると、ブラックジョークが飛ばし合えるような関係になるのは人でもあるよなと思い出してました。
空の観測老師の話に圧倒されていると、ふと僕の写真について尋ねられました。今日はピントさえも何故か合わせられません・・・と恥ずかしく応えると、レンズを何回か着け直してみろと言われました。するとどういうわけか、ピントがはっきりして写るようになりました。老師が原理を説明してくれている間に僕は嬉しくなって月食の撮影にリベンジしました。そしたら今度は綺麗に、しかもちょうど天王星がひょっこり顔を出した瞬間を撮ることができました。
「良いのが撮れてるね」
老師が画面をひと目見て言ったその言葉がとても誇らしく感じました。
夜空の星だけでなく、人工衛星、飛行機、鳥、空模様、本当に様々な空を観測してきた老師の目に今写っている月食の赤色は、僕が見ているものとは全然違うかもしれないと思いました。でも僕が撮った月食の写真に写った赤色は、老師と同じ色を見ている気がしました。
執筆者紹介
執筆:Pinductor
紹介:半導体センサーエンジニア。音楽から宇宙まで興味の幅が広い。言葉選びが繊細で、読ませる文章を書く。(紹介文:もやし)
note : https://note.com/pinductor89/
この記事はAstro Advent Calendar 2022の企画記事です。
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